(匿名希望 42歳 男性 会社員 大阪府)

 

2006年。わたしは31歳だった。大学を卒業して普通のサラリーマンになり、社会人9年目になっていた。

年収は400万円を少し上回る程度だったが手取りだと300万円程度だった。

それでも貯金はあった。ケチケチした生活を送り、地道に貯金を重ねて1500万円たまっていた。われながらこの年収額でよくためたと思う。

しかし、私には欲があった。

もっと早いスピードで貯金を増やしたいと思っていた。その年収では毎年150万円貯金することが精いっぱいだった。

とにかくもっと貯金が欲しかった。

私は仕事ができない種類の人間だ。いつ会社をクビになるか分からなかった。会社をクビになっても生きていけるように、たんまりと貯金をしておきたかった。

2006年はおもしろい年だった。年明け早々にあのホリエモンが逮捕され、ライブドアショックが起きた。

ホリエモンは私の憧れだった。私より3つ年上のホリエモンは若くして社長となり、プロ野球の近鉄バッファローズまで買収しようとしていた。とてもかっこよかった。

ホリエモンがテレビに出れば出るほどライブドアの株価は跳ね上がっていった。ライブドア株で大もうけしたおじいさんがテレビでうれしそうに自慢していた。

ところがある日突然ホリエモンは逮捕され、ライブドアの株価は暴落した。テレビでは、主人が残してくれた遺産の3000万円をすべてライブドア株の購入にあてていた主婦が子供たちに顔向けできないと、顔にモザイクをかけられて嘆いていた。

株は怖い。そう思った。

しかし私はライブドア事件のおかげで株に興味を抱くようになった。

ホリエモンの存在は私の心に深く影響を与えていた。身を粉(こ)にして働くことだけが人生ではないということを、彼は肯定してくれた。働かなくても生きていけるという人生は私の理想だった。

本屋のマネー本コーナーには『お金がお金を生む』『お金に働いてもらう』といった魅力あるタイトルが並んでいた。わたしは感化された。

勤め先の会社の人が株で300万円得をしたという話を人づてに聞いた。うらやましかった。それ以上に悔しかった。株でもうけたという話が私の心を揺さぶった。何もしないで株を運用するだけで私の手取り年収額のお金を手に入れてホクホクしているやつの顔がむかついた。

この時、私の心は完全に決まった。

 

『私も株を買う。』

 

ぜったいにもうけてやろうと思った。私には1500万円の貯金があった。あんなやつに300万円もうけられるなら、私は500万円もうけてやると思った。

誰にもしゃべらずに心の中でこっそりと決意した。

知識はまったくなかったが、株は証券会社で買うものだという知識はあった。調べていくうちにネット上の証券会社のほうが手数料が断然安いということが分かった。

ネット証券の老舗は松井証券だが、利用者が多いのは楽天証券だということを知った。

楽天証券に新規登録し、必要書類を送付した。後日、証券口座が作られ、普通預金から1,000万円を振り込んだ。

胸が高鳴った。

生まれて初めて証券会社に口座を作った。しかも時代の最先端のネット証券だ。家に居ながらにしてパソコンから取引ができる。

もう居ても立ってもいられなかった。早く株を買いたかった。

株の知識は何もない。東証一部上場の有名な会社を買おうと思った。直観に任せてシャープを選んで5000株の買い注文を入れた。

パソコンの画面から「約定いたしました。」という音声アナウンスが流れた。約定金額は909万円。

どきどきした。

あんなにドキドキしたのは大人になって初めての経験だったかもしれない。私は909万円の金を動かしているという事実に酔った。

約定してからすぐに画面の黄色い文字がピコピコと動き出した。909万円が909万5千円になり、またすぐに909万円に戻る。

ワクワクが止まらなかった。

私の資産が秒単位で5千円増えたり、1万円増えたりした。興奮に包まれた。本当におもしろかった。こんなに面白いことをどうして今までやらなかったんだとさえ思った。

その先に樹海への道が開けているなんてみじんも思わずに、はしゃいでいた。

2006年の夏のことだった。

株を購入したその日、シャープの株価は下がって引けた。私の909万円が907万円に減った。

ショックだった。

2万円ものお金を失ってしまったショックが私を襲った。2万円もあれば高級な和牛ステーキが食える。そこそこの温泉旅館にも泊まれる。

落ち込んだ。

株の恐ろしさを知った。

数時間でこんなにもあっさりとお金を持っていかれるのかと、ぼうぜんとした。

その日の晩、私は恐怖におののいていた。

『シャープがつぶれたらどうしよう。もし明日の株式市場が開くまでの間にシャープが倒産したら、私の909万円が水の泡と消えてしまう。』

株を購入したまま一晩明かすことの恐怖を知った。

しかしシャープはつぶれなかった。

翌朝、私は会社に出勤した。それまでの人生と、すこしだけ色が変わって見えた。

ただひたすら働いて、働いた分だけお金をもらっている人たちが色あせて見えた。

私は仕事をしているが株もやっている。仕事をしているあいだに、資産が資産を生み出す仕組みを作っている。私はみんなより一歩リードしている。

そんなことを思っていた。

そして家に帰り、真っ先にパソコンの電源をつけて楽天証券のサイトにログインした。シャープに突っ込んだ私の909万円がどうなっているかを確認した。

900万円になっていた。

手足が冷たくなり、息が荒くなった。昨日から今日にかけて、私は9万円を失った。

怖くなった。

その日の夜、私は深く落ち込んだ。9万円を失った事実が私の気分を深く落ち込ませた。

しかし、私は思い直した。明日になればシャープの株は上がり、9万円の含み損は一気に解消するかもしれない。そう期待した。

翌日、私はビクビクしながら会社に出勤した。仕事をしながらもシャープの株価がどうなっているかが気になった。仕事には集中できなかった。

家に帰ると、祈るようにパソコンの電源を入れた。そして楽天証券のサイトにログインした。

890万円に減っていた。

終わった。

もう、耐えられなかった。もうシャープの株が上がるとは思えなかった。

すぐに成り行きでの売り注文を入れた。翌日の朝、891万円で売りが約定した。

18万円の損失が確定した。

私の資産は18万円減った。私は3日間で手取りの月給に近い、18万円を失った。

株の恐ろしさを知り、同時に株でもうけられる気がしなくなっていた。

私は負けた。そして逃げた。

ワクワクしてパソコンに向かっていた3日前までの自分はもういなかった。株でもうけるなんて、幻想だった。

悔しかった。

でも、逃げるしかなかった。

それ以上、損失が膨らむことに私は耐えられなかった。

 

下がって買う素人。上がって買うプロ。

【ファイナンシャルプランナー浅野】

 

1500万円の貯金のうち909万円を投入されたということは、貯金のうち3分の2ほどを株に投下されたということです。初めての株購入ですし、相当の勇気が必要だったのではないでしょうか。

株に投下するお金は自分の貯金の半分までに抑えておくべきだと、私は考えます。

1千万円の貯金があるとすれば、株に投資するお金は500万円までにするべきです。500万円の投資額が2割減少して400万円になったとしても、貯金の総額からすると1割減少するだけなので、痛手も半分に緩和されます。

株は悪材料が出れば簡単に値下がりしてしまう危うさをはらんでいるものです。貯金の大半をつぎ込むものではありません。

ところが個人投資家は買った株が値下がりすると、投入額をどんどん増やしてしまう傾向にあります。

「株が下がったこのタイミングで残りの貯金を使ってこの株を同じだけ購入しておけば、株価が半値ほど戻るだけで損が取り返せるのではないか。」

と考えてしまうからでしょう。

しかし「さらに株価が下がれば2倍のスピードで含み損が膨らむ」という事実のほうは決して深く考えようとしないのです。

もしあなたが現在含み損を抱えていて「このタイミングでさらに買い増そうかな」と思っているとしたら、次のように考えてください。

 

「もしかするとここからさらに大きく下げるかもしれない。買い増すとしたらその時まで待ったほうがよい。しかし下げずに上昇するかもしれない。そうなればそれはそれでよいではないか。」

 

こう考えることで、買い増したい衝動を抑えることができます。

持っている株が下がれば買い増し、さらに下がれば追加で買い増しをする。そしてさらに株価が下がって含み損が加速度的に増えてしまう。これが大損をしてしまう個人投資家によくあるパターンなのです。

プロの機関投資家の行動パターンはこれとは真逆です。

株が一定額下げた時は売ってしまいます。買い増すのは株価が上昇していて、さらなる値上がりが期待できる時です。

株が下げて買い増す個人投資家はたくさんいますが、株が上げているときに買い増すことのできる個人投資家はほとんどいません。

投稿者の匿名希望さんは「損切りがむなしい」とおっしゃっているのですが、早い段階で行う損切りは損失を最小限に抑えてくれますので決してむなしいことではありません。そこで買い増すことこそむなしい行為なのです。

「下がる株を売り、上がる株を買い増す。」

これを実践するだけでも随分と結果は違ってくるはずなのですが、実際にはできないものです。