【ファイナンシャルプランナー浅野】

 

恋愛成就、交通安全、家族の幸せ、合格祈願。初詣で神様に何をお願いしようとお参りする人の自由です。

「宝くじで1等が当たりますように」とお願いする人も多いことでしょう。それもいいと思います。

しかしわたしは「今年は自分の持っている株が上がりますように」とお願いしてはならないと考えます。

株価の上昇を神様にお願いするという行為は下品だとかバチ当たりだとか、そういうことを言いたいのではありません。

投資での成功を神様にお願いしてしまう、という行為の根底にあるものに、危うさを感じずにはいられないのです。

こういう人は、保有する株が上昇して利益が出たとしたら「読みが当たった」と自身の投資先の選定に間違いがなかったことに喜びを感じる一方で、「運が良かった」と思うことでしょう。

投資で利益を出せて「運が良かった」と思うということは、「わたしの投資家としてのレベルはそれほどのものではありませんよ」と謙遜しているということで、悪いことではないように思われるかもしれません。

しかし、この考え方は裏を返せば投資家として致命的なものになります。

もし自分の保有する株が大きく下がった時、この人はこう思うに違いありません。

「運が悪かった」

と。

自分の投資方法や選球眼に間違いがあったことには棚に上げておいて、「市場全体が下げているから仕方がない」「悪いタイミングで悪材料が出たから仕方がない」「アメリカの雇用統計が悪かったから仕方がない」「大きく円高に振れたから仕方がない」と心の中で言い訳をするのです。

そしてそのような事象が起きたのは「運が悪かったからだ」と自分を慰めようとするのです。

さらに「恐らくこれは神様が私に与えた試練なのだろう。神が与えられた試練ならば受け入れるしかない。」と、神様のせいにすることでショックを和らげ、損失をやり過ごそうとしてしまうのです。

プロは市場全体が下げることも、個別の悪材料が出ることも、雇用統計が悪いことも、円高に振れることも、当然想定しています。このような株価下落要因が発生することを想定しているからこそ、常に逆指値を設定して損失を最小限に抑えようとするのです。

ところが「運が悪かった」ということで済まそうとする人は、「運は全ての人に平等だから、次は私にも運が向いてくるはず」などと考え、それまでの投資手法を改めることもなく、また同じことを繰り返すだけです。

そこに投資家としての学びは何一つありません。損をしたことを「運が悪かった」で片付けている限り成長することはなく、市場に資金を供給し続けるだけの投資家人生を歩むことになるでしょう。